必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ
by 織田信長
奥村知己(おくむらともみ)
岐阜市柳津町出身。
主穂営農(かずほえいのう)の「主穂」は四代目である親父の名前。
ハツシモの原種を後世に残したい気持ちから、1950年から岐阜県の推奨品種になっている、通称「旧ハツシモ」にこだわり、親父と二人三脚で安心・安全・おいしい米を作り続けています。
美濃の大うつけの再来!?
熱き作り手、五代目ものがたり
小学生3年生から始めたサッカー。中学を卒業後、親元を離れ寮生活をしながらサッカーに夢中になり
フィールドで大暴れっ!岐阜県の県選抜選手にも選出される。
卒業後は当時彼の中でマイブームだった。任侠映画に憧れ、役者を目指して上京。
住み込みで水商売のアルバイトをしながらオーディションを受けまくり、舞台、CM、ドラマなどに出演。
しかし、華やかな世界とはほど遠く、いつまでたってもちょい役で鳴かず飛ばずの日々。
一方、六本木、銀座のアルバイト先の一風変わったBAR(笑)では「あざーっす!」「さーっせん!」と
お調子者で笑顔をふりまく天真爛漫さが気に入られたのか、ママやお客さんにとっても可愛がっていただきました。
そのときに教えてもらった礼儀や挨拶、マナーなどの社会的な行動の基本は、今も彼の中で生きています。
東京ではアルバイト先で彼の事を気に入った社長さんの会社に就職。修行を経て、独立して商売に着手。
全力で取り組む姿勢と持ち前の人懐っこさで順風満帆だったはずが、ある日突然トラブルに見舞われ、
売上金すべてを喪失。借金だけが残った。
ときを同じくして親父の入院の知らせが届き、意を決して帰郷。というよりこれが都落ち・・・。
生計を立てるためにさっそく就職活動を開始し、50社以上に履歴書を送るも、ほぼ全滅。
「俺には履歴書に書けることがなにもない」ことに気づく。当面アルバイトをしながら親父の米作りを手伝うことに。
土を耕すと気持ちいい!田んぼにいると気持ちいい!
師匠である親父にならって土とふれあううちに、米作りの楽しさを発見。
しかし稲作二年目、父の入院中、毎日アドバイスを受けながらも育てた苗はお客様から
「去年より出来が悪いっ?」などとクレームが小耳に入る。
食味検査も親父の点数よりも遥かに低い。そんなに甘くはなかった。
しかし、そんな結果が彼の闘争本能に火をつけた。
自然と触れ合い実りの喜びを感じながらも………結果としての敗北感。
「くっそー!!悔しい!むちゃくちゃ悔しいっ!」
新人やけど一生懸命育てたお米が否定されると自分自身を否定されてる感…。
「あっかん!リベンジやぁ」
「どうせやるなら最高のモノを作るっ!!」
「俺の米の評価は俺自身の評価と同じやぁ」
本格的に米作りに挑む決心をしてからの俺は、エンジンフル回転。地を耕し、華やかな世界からは程遠いが
「日本一かっこいい農民を目指そう!」と、真摯に土と向き合い、米と会話をし、研究を重ねはじめました。
見た目はやんちゃだけど、米作りへの想いはクソ真面目。
そんな彼の姿に人は惹かれ、仲間が集います。
岐阜の伝統「ハツシモ」の魅力を最大限引き出した、粒が大きく、ふっくらと炊き上がるおいしい米を
目指して、日々稲作に励んでいます。
そんな彼の育てた、本物のお米。個性的で味のあるお米。ぜひ味わってみて下さい。